福岡ソフトバンクホークスは、2016年10月20日のドラフトで、今年ダントツの目玉・創価大の「田中正義投手」を引き当てました。
当初は、メジャーリーグでのプレイを希望していましたが、考えを変え、田中投手は一旦日本のプロ野球に所属することに。
ルーキーYEARとなる来年は、「マックス160km/h」と「シーズン200回投球回」を目標に掲げるという大物ぶり。
まさに今をときめく田中正義投手、さすがに目標も一流です。
そんな中、同じく今を時めくのは、既に世界進出を果たしているピコ太郎(PIKOTARO)さん。
スポーツ専門ブログという趣旨とは若干ずれてしまうのですが、お笑い好きなもので、肩の力を抜いて少しだけ書かせてください。(笑)
なんと、田中正義投手とピコ太郎さんには、意外な共通点があったのですよ。
田中正義投手とピコ太郎(PIKOTARO)の意外な共通点
まず1つめの共通点は、野球です。
田中正義投手は、小学校1年生から野球を始めたというのは本ブログをご覧いただいているスポーツ好きの皆さまにはご存知の方も多いと思います。
でも、ピコ太郎こと古坂大魔王さんも小学校から野球をはじめ、地元では非常に注目される選手であったことはご存知なかったのではないでしょうか。
ピコ太郎は、小学校時代から体格は大柄で、スポーツ万能の小学生でした。
当時は、野球のほか、柔道でも将来を渇望されていたほどでした。
2つめの共通点は、身長です。
先ほど、古坂大魔王は体格が大柄と書きましたが、実は身長が186cmもあります。
そして、この186cmというのは、田中正義投手と同じ身長なのです。
同じ時期に世間から注目を浴び、同じ身長。
なにか運命めいたものを感じるのはボクだけでしょうか?(ボクだけでしょうね・・・汗)
3つめの共通点として、2人とも、必ずしも順風満帆な人生ではない苦労人だったということです。
田中正義投手は、小学校1年生から野球を始めましたが、今ほど注目をされるような選手ではなく、甲子園にも出場できませんでした。
また、ずっと投手として順調に活躍をしてきたわけではありませんでした。
田中正義投手は、小中学校こそ主に投手をしていましたが、実は創価高校の時は外野手だったのです。
本人に肩の痛みがあり、投手を断念して外野手に転向したのです。
しかし、肩の調子が好転したことで、創価大学に入学して再び念願の投手を務めることになったのです。
一方、ピコ太郎こと古坂大魔王は、1990年代に底ぬけAIR-LINEとして3人組で活躍。タモリのボキャブラ天国などで活躍。
その後、その番組に出ていたロンドンブーツ、爆笑問題、くりぃむしちゅーなどがことごとくブレイクしていく中、古坂大魔王は鳴かず飛ばずの状態が続き、2003年にはお笑い活動を休止してしまいます。
その13年後、今回やっと日の目を見ることになったのです。
今だけを見れば輝かしい2人ですが、それぞれに大変な苦難がありました。
ここでオマケにピコ太郎の外国人記者向けのライブをどうぞ!
今後の見通し
田中正義投手は、メジャースカウトも注目するほどの逸材で、開幕投手も十分狙えます。 😛
ただし、肩にまだ爆弾を抱えていることから、1年目は2軍を中心にゆっくりと体作りに励み、2年目以降から活躍をしてもらうのが良いのではと思います。
ホークスは昨年のドラフトでも高校生ナンバーワン右腕高橋純平を獲得していますし、2軍の投手陣も豊富です。
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一方のピコ太郎こと古坂大魔王さんも、1年程度はブームが続くのではないでしょうか。
その後も、仮に一発屋に終わったとしても、結婚式の余興の仕事もありますし、もう完全に不動の地位を築いたと思えます。
ダンディ坂野やエスパー伊東などは、結婚式の余興だけで毎年2000万円以上稼いでいるということ。
ピコ太郎の場合は、マーケットが海外にもありますので、彼らよりも多く稼げることは明らかでしょう。
いやぁ、羨ましいっっ!! 💡
わたし、苦労人は大好きです。苦労をしてきた2人が、今後更なる飛躍をしてくれることを、心より祈っています。
本日も、最後までお読みいただき、ありがとうございました!
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