日本一を達成した工藤公康監督ですが、シーズンが始まる前、3人の選手をリーダーに指名していたことをご存知でしょうか。
内川選手をキャプテン、本多選手を副キャプテン、松田選手を選手会長に指名していたのです。
今回は、その3人の男たちのエピソードについて取り上げます。
キャプテン・内川聖一(33)選手
今シーズンは工藤監督から4番指名を受けましたが、本人が思うような成績をなかなか残すことができずに苦悩していたと内川選手はシーズン終了後に語りました。
3番の柳田選手はトリプルスリー、5番の李大浩選手や6番の松田選手もホームランを量産。これもあり、自分自身がとても小さく見えたと振り返っています。
内川選手といえばヒット製造機であり、7年連続打率3割を達成していました。しかし、2015年はそれを達成することはできませんでした。(136試合 150安打 82打点 11HR 打率284)
普通の選手の基準から言えば悪くはない成績ですが、内川選手クラスになると到底満足できるような成績ではありませんでした。
そんな中、工藤監督は内川選手を食事に誘いました。
「お前は今までどおりでいい。何かあれば全て責任は俺がとるから、お前は好きにしろ。」と伝えられたといいます。
この言葉に支えられた内川選手、10月14日のクライマックスシリーズでの千葉ロッテとの初戦では、サヨナラヒットを打つことができました。
しかし、10月14日のファイナルステージで、内川選手はクライマックスシリーズでの守備の際に左肋骨を骨折していたことが判明。
日本シリーズへの出場は断念することになりました。
しかし、今シーズンの内川選手の姿はチームの全員が見ており、キャプテンである内川選手が出られなくなった日本シリーズでも、ベンチに内川選手のユニフォームを下げ、絶対に負けるわけには行かないとの強い思いで、チーム一丸で日本一を勝ち取ったのです。
副キャプテン・本多雄一(31)選手
本多選手は、プロ10年目を迎えた2015年、開幕からわずか13試合目で右足首を捻挫し、戦列を離れることになりました。
実は2014年も、8月に左手小指を骨折し、優勝の輪の中に入ることはできませんでした。
それだけに、今回の怪我には大きなショックを受けていました。
本多選手は、シーズン終了後以下のように振り返りました。
「去年も怪我をし、今回も骨折をし、正直何をしているんだろうと思いました。本多雄一ってもうセカンドにいないよねとファンから思われているのではないかな(という不安も)。ただ、松田さんからは怪我は仕方ないので待っていると言っていただき、内川さんにも謝罪をしたところ、内川さん自身も怪我の経験があり、自分の気持ちを分かって頂きました。」
内川選手、松田選手の言葉に支えられた本多雄一選手。8月5日、本拠地でのファイターズ戦、延長11回裏、3対3の同点の場面で、代打として復帰をすることになりました。
そして、サヨナラヒット!チームに優勝へのマジック38を点灯させる非常に価値あるサヨナラヒットでした。
副キャプテンである本多選手の周りには多くの選手が集まり、残りの2リーダーにとどまらず、選手全員との熱い絆を示していました。
選手会長・松田宣浩選手(32)
選手会長である松田選手にとっても、2015年は節目となる10年目のシーズンでした。
入団間もない頃は、なかなか結果を出せずに苦しみ、時には試合中のエラーを王監督(当時)に指摘され、ベンチで涙をしたことも幾度もありました。
この積もり積もった悔し涙をうれし涙に変えたのは、2014年シーズン10月2日の最終戦。松田選手は西武ライオンズを相手にサヨナラヒット!
自らを2軍時代から懸命に指導してくれ、自身のつらさも良く分かってくれていた秋山監督(当時)にうれしさを爆発させ、大泣きをして抱き合いました。
そして2015年10月29日、日本シリーズ第5戦、9回2アウト、日本一を目前にした瞬間。
サードを守る松田選手の目からは、再び大粒のうれし涙が。
投手が最後の一球を投げ優勝が確定。
松田選手は号泣とともに、うれしさを大爆発させました。
そして、優勝が決まって真っ先に工藤監督が声をかけた相手は、選手会長の松田選手でした。
2リーダーが怪我で脱落する中、最後まで戦い抜いた選手会長の松田選手には、特にありがとうと言いたいです。
本日も、最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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