ホークス工藤公康監督を、高校時代の監督と、東尾元監督が語る。豊富なエピソード。

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KUDO

監督就任一年目で、ソフトバンクホークスを日本一に導いた工藤公康監督(52)。
工藤氏が野球を始めたのは小学生で、その才能は瞬く間に開花し、愛知県の強豪・名古屋電気高校(現在の愛工大名電)でエースにまで上り詰めました。
その当時の野球部監督は中村豪さん。 イチロー選手も育てた、高校球界の名監督です。
現在のお年は73歳にもなりますが 工藤公康さんについて語って頂きました。

中村豪氏が工藤監督を語る

Q.工藤監督は、高校時代から監督をできるような素材と感じましたか?
中村氏「口が達者だったから、お前は将来解説者になれるなと話していました。また、彼は当時から統率力がありました。ただ、彼はいつも一言多いから、先輩にはよく怒られていました。ある日、先輩にこき使われた彼は頭にきて、同級生の1年生を連れて集団脱走をしてことがありました。上級生は私のところにきて、工藤を退部させるよう迫ってきましたが、私は彼に期待をしており辞められたら困るので、お互いをなだめるのに大変苦労しました」

Q.工藤氏の練習方法は?

中村氏「1年から3年まで、グラウンドから寮までの13kmを走って帰るように言っていました。それによって、体がボクサーのように筋肉質になっていました。」

東尾修氏が工藤監督を語る

強運の工藤公康氏

東尾「あいつは(運を)持っていますよね。あいつが西武に入ってきた1年目が、西武ライオンズの初優勝の年でした。日本シリーズにも19歳で出ているんですよ。そして今度は監督1年でまた優勝。いい加減似せえよ、独り占めして!と言いたいですね」

物怖じしない性格

「1987年の巨人との日本シリーズで、私(東尾氏)が9回1アウトまで投げていたんです。自分が窮地になって、次の試合に先発予定の工藤がリリーフに来たんです。そしてマウンドにきて自分に言った言葉。しっかりしてくださいよ、あと2人くらい!」

先輩にも物怖じしない工藤氏は、続く第6戦を1失点完投勝利で、日本シリーズのMVPに輝くことになりました。

工藤公康氏の探究心、向上心

「ある日彼がスライダーを教えて欲しいと来たことがありまして、本当に簡単に説明をしたんです。すると、冷たい!先輩なのに一生懸命に教えてくれない!と言われました。そういう点では、探究心や向上心がすごく強いやつと感じました。」

西部ライオンズの監督

1994年、ダイエーホークスにFA移籍した年、東尾監督は西武ライオンズの監督に就任。
工藤氏に残留要請をしたそうですが、「すみません。東尾さんの監督決定が10日早ければ残留をしていました」と断られたとの事。
東尾氏は、もし残留をしていたら、今頃は西武の監督になっていたかもしれないと語りました。

東尾氏から工藤監督への最後の一言

「優勝したり、彼みたいに個人タイトルを獲得したり、200勝も達成すると、満腹感が出てきて、普通はもう引退しようとなると思います。しかし、工藤公康はしつこいんですよ。」

本日も、最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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